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Aお味噌と食 そして、これが以後の日本人における食の基本になり、明治、大正時代に至るまで長く受け継がれました。米は時代と経済事情、階級、農収穫によって精米されたり、麦やひえなどの雑穀になったり、干物が土地によって野菜の煮ものになったりすることはあっても、みそだけはどんな状況下でも変わらずに食べつづけられたのです。そのため、みその醸造だけはないがしろにはできませんでした。他人まかせにせずに、それぞれの家で、「家族(1人)に1斗、客1斗」を年間の仕込みの目安にして造っていたのです。つまり、年間に1人1斗のみそを食べていたようです。 みそが現在のみそ汁のような形になって、庶民の食事に組み込まれるようになるのは室町時代になってからです。 それまでは粒々を残したままで、調味料兼たんぱく質補給源の大豆を食べるのが「みそ汁」でした。みそをすることに気づいたのは鎌倉時代。当時、幕府の頭脳的な役目を果し、知識の源でもあった禅寺でした。粒のあるみそをすることで調味科としての用途が広がり、おそらく寺の精進料理は献立を増やしたことでしょう。そして、みそ料埋の発展基盤ができたのが室町時代。みそ汁だけでなく、今に伝わるみそ料理のほとんどが、このころから作られるようになっています。この時、みそは大きな飛躍をしたと考えられています。 |
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