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F味噌の文化

「なっと切る音しばしまて鉢たたき」 ― と芭蕉の句にあるのが江戸っ子に好まれた納豆汁。納豆を細かくたたいて、豆腐と青菜を入れた、今考えるとなんとも栄養たっぷりな朝のみそ汁が家族の1日の活力源でした。当時江戸の人口がざっと50万人。みそは、江戸および近郷の下総や埼玉の生産量ではまかないきれずに、家康の出身地の三河岡崎の三州みそ、仙台みそなどが海路でどんどん江戸に送られ、みそ屋は盛んな商売をし、街中はあたかも野菜畑を歩いているようにみそ汁の材料が集まりました。

今も残っている落語「味噌蔵」や「味噌豆」をはじめ「東海道中膝栗毛」には各地のみそ料理が紹介されていますし、「看板(芝居の絵看板)を見るなと味噌を買いにやり」という具合に、江戸(古)川柳などにもみそにまつわる記載が多々出てきます。うなぎのかば焼きも最初はぶつ切りにしたものをみそだれで焼きつけたというほどで、みそのない生活は考えられなくなっていました。江戸の街では、女性の数に比べて男性が多かったと記録されています。そのせいもあって外食の習慣ができ、それにかかわる料亭をはじめとした飲食店が発展するとともに、みそを使った料理が最高に発達して、洗練され、それが徐々に庶民の生活にもなじんでいくようになったようです。 なんだかみそのいいにおいが漂ってくるような気がしませんか。

 

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