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D「醤」とは 周礼は、907年の唐令にいたるまでの長きにわたって営々として受け継がれましたが、「醤は食の主」として、(神前に)醤豆を設けて王様はその前にひざまずいたという記録も残っています。この醤豆の「豆」 は“豆”のことではなく“皿”のことです。「豆」という文字が穀物の“豆”になるのは、漢以後のこととされています。なんとも、「醤」の素性と格式には驚嘆させられます。そして、中国の君主たちがいかに醤を大事にしていたかもこれでわかることでしょう。 また、「醤」という言葉は孔子の「論語」にもみられます。論語はご存知のように、人の生き方、礼節からはじまって、食事にまで言及しています。論語下巻、郷党第十篇に「醤」という文字が史実としてはじめて出現します。孔子が食事の礼節をこまごまと述べた中に「割不正不食不得共醤不食」というくだりがあります。これは「料理の法にかなったものでなければ食べない。料理にふさわしい醤がなければ食べない」という意味です。既に当時、羊の肉にも魚にも、それぞれに合った「醤」があって、 なんでも同じ醤で食べていたわけではなかったということがわかります。 では、いったい醤というのは何でしょう。どんな味がするのか、色は? 形態は? そもそも醤とは、獣肉、魚肉等をたたき潰して、雑穀の麹と塩と酒をまぜて壺につけこみ、封印をして百日以上おいて、熟成させて初めてできるものだといわれています。これは現在、秋田地方に伝わる、小ざい魚や貝類を壺や桶に仕込んでつくる塩汁・しょっつる、また東南アジアの魚醤などによく似ています。 さらに時代を経て大豆や雑穀などを発酵させた醤をつくるようになります。「」は紀元100年ごろになって、大豆に塩を組み合わせた発酵食品として文献に表れます。そして、これらの植物性たんぱく質の発酵食品がみその原型ではないかと考えられます。 |
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