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E戦いとお味噌

応仁の乱(1467)からの百年は、戦に明け暮れた時代。戦いに出動する者たちにとって、カロリー源の米と栄養源のみそは必需品でした。これが、戦闘能力に大きく関わってくるため、軍糧にはかなりの配慮がなされたようです。米はともかく、発酵食品であるみその運搬には皆頭を悩まし、工夫をこらすようになります。また、みその重要性をさらに見直し、みその醸造法が発達した時代でもありました。

この時代を終えんに導いた織田信長、豊臣秀吉、徳川家康がそろって豆みそどころに生を受けているのは偶然でしょうか? 武田信玄が信州みその基盤を作り、伊達政宗の奨励した仙台みそは、いまに至るまで造り続けられています。栄養豊富なみそが強い勢力を育み、よい「手前みそ」をもつ者が力を発揮したことがこれにより伺えます。また、軍隊の移動に伴って、みそ醸造に関する知識や情報の交換も行われたと思われます。

平均寿命が378だった時代に75歳の長寿を保った徳川家康は、「五菜三根」のみそ汁を食べたといわれています。大根などの根菜が3種、その葉も含めた菜が5種類も入ったみそ汁は、現代の栄養論に引き合わせても一種の薬石となるもの。 このみそ汁と麦飯で健康を心がけ、人にもすすめた「権現様(家康)」 の家訓を守って、2代以降の将軍たちも食膳にはみそ汁を欠かさなかったとか。長い江戸時代、暮府の力は毎食のビタミンみそ汁がつくり出していたのかもしれません。

 

 

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